旅行シリーズ2
こんにちは。
藤沢校の上原です。
前回はバリ島へ行った際の話しでしたが、
今回は引き続き旅行シリーズの第2弾『台湾編』です!
もう1度バリ島の話しをしようと思ったのですが、
同じような感じになってもつまらないので変更!!
台湾は飛行機で4時間ちょっとくらいで着きます!
皆さんどんなイメージですかね??
写真は「九份」と言って、ジブリアニメ「千と千尋の神隠し」の
モデルになった場所だそうです。
夜になると、提灯(赤いぶら下がってるのです)が点灯されて
より綺麗な街並みになるそうです!!
私は昼間に行ったので見れませんでした・・・
ご飯も美味しい飲茶が多く、台湾名物の夜市(お祭りの屋台みたいなお店が毎晩やってます)
ではリーズナブルで個性的な料理を食べれます!
※中にはクセの強い料理もあるので、あえて"個性的"と表現します笑
国内も色々と行っているので、次回は国内編をお話しします。
それでは!!
怒涛のOC週間!!
みなさんこんばんは!!
藤沢校の越後です。
本日は日本女子体育大学のOCがありました。
AO入試のイベントがあるので、
3年生の参加者が多くいたように感じました。
AO入試は簡単には合格で来ません。
早く合格したい気持ちだったり、
得意分野での受験だったりと、
様々ですが、合格者をみると
準備がしっかり出来ていた生徒が
多く合格しています。
ならば、入試にあった内容の
準備を行うべきと考えます!!
それこそが、合格へ近道です。
受験生がんばれ!!
またまた授業後の風景を撮影しました!!
授業に満足したのか、納得したのか、
それとも...!?
全員がいい表情をしています(笑)
また、来週お会いしましょう!!
メディアリテラシー
日本イヤホン着用歩行者(または自転車)撲滅委員会、 会長の松岡拓美です。
ホント、迷惑です、イヤホン族。
大体、キャラに似合う音楽聴けっつーの!
先日、顔面ピアス10個以上の反体制的なメンズのイヤホンから漏れて来たのは...
~きっとぉ~何年経ってもぉ~(未来予想図Ⅱ Ⓒドリカム)...でしたし...
そもそも、人間の神経の働きには総量みたいなのがあって、 視神経に集中すると、聴覚等、他の神経の働きが鈍くなり、 逆に聴覚に神経が集中すると、視野狭窄状態に陥ったりして、 視覚情報の判断が遅くなる。
だから車の運転中は携帯で話しちゃいけないんですよね。
でも、これって歩行時のイヤホンにも言えませんか?
駅のホームとかで平気でぶつかって来るのは大抵、 イヤホン着用軍団。
その動きは自由。
縦横無尽、唯我独尊、傍若無人。
あるいは高齢者の運転( ウインカーによる方向転換事前告知の概念無し)する車の如し。
突然、立ち止まるし...
駅で相当な人数が乗降するにも関わらず、 自己所有地の如くドア側位置から頑として動かないし...
加えて、音楽にノッて、トランス状態なんでしょうか...
周囲の人に気付かない。
私、昨日だけで3人にぶつかって来られましたよ。
この完全自己中人種たちは、音楽にのめり込んで、 視覚が狭くなってるんでしょう。
しかし、きっと原因はそれだけじゃない。
人間、耳で感知しているのは音だけじゃないんですよ。
気配というか、こう、周りの空気感みたいなものも、 耳は感じ取っているんです。
普通、私たちって、背後から迫る人の気配に気付きますよね?
これがイヤホン軍団にはないんですよ。
五感のバランスを取らないと、 行動が上手く行かないことが多いですよね。
人との会話に気を取られて、調理中に指切っちゃったり...
テレビに夢中に見入ってて、コーヒーひっくり返したり...
同じようなことが、活字と接する場合にも起きます。
文字や音声、すなわち視覚、聴覚信号は情報の一部に過ぎません。
だから、ただ文字を見るだけじゃ、 伝えられた内容の全ては理解出来ないし、 ただ音声を聞くだけでは話の中味の全貌がつかめない。
これ、当たり前のことではないですか?
なのに...ですね...
例えば、国語の時間に雄犬のマーキングの如く、 無闇やたらと文章中に線を引く(あるいは引かせるよう指導する) 方、いらっしゃいますよね。
それって視神経にばかり意識が集中して、 思考が存分に働かないんじゃないですか?
まして、そこに人間の視覚を大きく集中させる色彩( ラインマーカー)が施されたなら...。
(例題)
以下の選択肢の誤りを指摘しなさい。
「医者は地域の人々に積極的に奉仕せねばならない。」
分かりますか?
「奉仕」が間違いです。
「奉仕」は基本、無償の営みですから、このフレーズ、 お医者さんにタダ働きを強要してるんです。
あり得ません。
しかし、これをただ文字だけ視認したなら、どうなるでしょう。
このフレーズの間違いに気付かないまま、 スルーしてしまうんじゃないでしょうか。
人間は思考する生物です。
そして、思考の入り口は五感による感覚、認知ですが、 それはあくまで「入り口」に過ぎません。
そこから先が思考の本領です。
見る、聞く、触る... だけで終わってしまうのは動物的認知であって、 思考ではありません。
茨城県取手市で中学三年生の女の子が自ら命を絶ちました。
ピアノが上手で、クラスでも人気者の美人さん。
彼女が記したノートには「いじめ」を匂わせる記述が...
しかし、当時の取手市教育委員会の判断は「 いじめがあったという事実は認定出来ない。」と、 淡白なものだったそうです。
取手市教育委員会の杜撰な対応に納得出来ない両親は、 国に直談判するという勇気ある行動に出ます。
すると、後日、縦社会の「上には絶対服従」が約束事のこの国の組織は、 慌てて再調査...果てに「いじめ」があったことを認定し、 両親に陳謝したのです。
ウソはダメっしょ。
それでも都合の悪い事実隠蔽がこの国のスタンダードなら、私たち市民が世の中のウソをちゃんと見抜かなきゃ。
言葉だけを信じちゃいけない。
それが「メデイアリテラシー」。
本物の思考力です。
ちゃんと考えたい。
対岸の火事として傍観しないで...。
他人の哀しみに等身大で感情をシンクロさせて...。
「いじめ」がなかったですって?
「いじめ」のない学校なんて、この世に一つとしてあり得ません。
そもそも人間は褒められたいのです。
自分の価値を実感したいのです。
そのためには他者を卑下することや、 他人を否定することが必要になるのです。
価値観は常に比較・対照の行為を通じてのみ生ずるものですから。
人間が自己肯定を求める限りにおいて、 差別意識は決して途絶えることがないのです。
そして、この意識が行動につながり、集団化されたのが「いじめ」 です。
特に、理性と思いやりの脆弱な低年齢期には、「右倣え」 的に、容易に行動が群集(愚集)化するのです。
「いじめ」は人間の本来に由来する行動です。
だから、絶対に無くならないんです。
教育学科初等教育専攻課程卒業の私、松岡が断言します。
ですから、もう、「子供は純粋無垢な存在」なんて神話、 捨てちゃいません?
人を死に追いやるほどの苛烈、残忍な「いじめ」 が今日もどこかで、強かに行われているんですから。
画は最近、仕事用に新調した時計。ホイヤーのカレラモデル。奇しくも「孤独なグルメ」の松重 豊さん演じるところの吾郎さんとお揃い。